近現代百七十年編
開国・明治維新から現代まで
近現代百七十年編
明治維新前後から現代にいたるまでの教会史を、同様にまとめていく。本編の公開は近世三百年編の完結後。準備中。
準備中
教会史をひもとく意義
文脈化の流れを意識する
計画中
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織田信長がヴァリニャーノに贈った屏風図の再現(近江八幡市安土町城郭資料館)
日本での福音宣教は五百年近くの歴史がある。これまで大きな努力が払われてきた。尊い犠牲者も多数出した。しかし必ずしも成功したとはいえない。もっとはっきり言えば、世界に例を見ないほどの失敗例だった。かつて日本では、キリシタンの世紀と言われる百年の間に、キリスト教信仰は静かな拡がりを見せるに至った。だがその痕跡は明確な意志のもとに消し去られた。人々の心にキリスト教は「外国、欧米の宗教」という印象を残した。日本人とは関わりのないものという意識を強く、強く植え付けた。
何故そうなったのか。そもそも、キリシタンの世紀の頃、キリスト教が人々に根付きはじめた要因は何だったのか。その後、何故、日本人はこれほどまで信仰に無関心になり、信仰を有害と考えるようにまでなったのか。私たちは、そもそも日本の教会の歴史そのものを、どれほど知っているのだろう。現代への教訓が、どこかしらに隠されているのではないか。あらためて、福音を日本に文脈化していくヒントを探せないだろうか。それら教訓、ヒントを、何らかの形で解き明かしてゆく作業には、幾ばくかの意義があるだろう。
当サイトの他の箇所と同様、ここでも、常識となっていることをまず疑い、日本史や世界史全体に照らして、少し深く掘り下げよう。伝統的な聖書観に立ちながら、これまで当たり前と思われていた歴史観、世界観をわずかでも揺り動かせないものか。その呻きの一端を紹介したい。
近現代百七十年編
明治維新前後から現代にいたるまでの教会史を、同様にまとめていく。本編の公開は近世三百年編の完結後。準備中。
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