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日本と世界の歴史散策 OWLのひとりごと

 

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(10)日本人のルーツ Ⅰ 常識への挑戦 OWLのひとりごと

日本人のルーツ(Ⅰ)私たちが聞かされてきたこと

日本人のルーツ(Ⅱ)質量分析計による年代測定法の登場

日本人のルーツ(Ⅲ)世界最古16500年前の土器片

日本人のルーツ(Ⅳ)水田稲作は紀元前10世紀頃から

日本人のルーツ(Ⅴ)グレートジャーニー

2013.10
グレートジャーニー 

ミトコンドリアDNA解析によるイヴの子孫たちの移動と分布
Wikipediaによる(CC BY-SA 3.0)
http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/deed.en
ダイマクション地図についてはこちらを参照
本稿の文献はこちらを参照されたい。
 

グレートジャーニー

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このページのまとめ
1)細胞の中の小器官ミトコンドリアにもDNAがある。
2)母から娘、またその娘へと、代々薄まることなく受け継がれる。
3)突然変異が起きるとそれも受け継がれる。
4)代々積み重なった変異の多様性はグループ分けされ、ハプログループと呼ばれた。
5)ハプログループの研究から、分子人類学が勃興した。
6)新人の単一起源説、アフリカ起源説が提唱され、他地域起源説は全面否定された。
7)イブの子孫が出アフリカを果たし、世界各地に移住して行った。
8)その移動はグレートジャーニーと呼ばれる。
9)ミトコンドリアDNAハプログループは、L、M、N、Rの各クラスターに別れる。
10)日本人のハプログループ構成頻度は、Mが61%、Nが14%、Rが19%である。
11)大陸北部と日本には共通した亜型が存在する。
12)大陸南部には日本人に多い亜型とまれな亜型が並存する。
13)それぞれ北方系、南方系と呼ばれ、日本列島に渡って来たと考えられた。
14)Y染色体DNAハプログループの研究が始まるまで、その考えが主流だった。
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Ⅰ)ミトコンドリアDNAハプログループの登場と新人の単一起源説

 出土した頭蓋骨など人骨を計測して特徴を解析し、これが○○人、あれが□◇人と分類していたのが形態人類学である。形態人類学から導き出された世界観を、根底から揺さぶる研究領域が勃興した。分子人類学である。
 
 それまで「多地域起源説」が主流だった。一〇〇万年以上前にアフリカを旅立った原人が各地で独自の変化を進め、それぞれの地域の新人に移行したというものである。
 
 「多地域起源説」を全面的に否定したのが分子人類学で、新しく「新人の単一起源説」「アフリカ起源説」が提唱された。曰く、現生人類はすべて二〇~一〇万年前にアフリカで生まれ、七~六万年前にアフリカを出て全世界に広まった。
 
 現生人類の「アフリカ起源説」によれば、北京原人、ジャワ原人、ネアンデルタール人などの先行人類はすべて絶滅したらしい。このようなパラダイムシフトを起こしたのが、ミトコンドリアDNAの多様性に関する研究である。
 


細胞の模式図
核 ② 以外にミトコンドリア ⑨ にもDNAが存在する
park6.wakwak.comより


 DNAは核だけでなくミトコンドリアにも存在する。ミトコンドリアDNAはたいへん小さく、核のDNAの二〇万分の一の大きさしかない。約一六五〇〇〇個の塩基対が環状になったもので、核の染色体DNAに先行して全塩基配列が決定された。
 
 ミトコンドリアDNAは母親から娘に受け継がれる。精子由来のミトコンドリアは受精時に徹底的に排除される仕組みがある。そもそも父親由来のミトコンドリアDNAは存在しない。
 
 息子にもミトコンドリアDNAが受け継がれるが次の世代には行かない。娘経由のミトコンドリアDNAだけが娘へと代々受け継がれてゆく。逆向きに言うと、母親の母親のそのまた母親と、ずっと先祖を辿って行ったとしても、ミトコンドリアDNAは変わらないままである。
 
 常染色体DNAは二本鎖で、代を重ねるごとに薄まってしまう。自分の常染色体DNAは片方が父親から、もう片方が母親から受け継がれる。父も母もそれぞれまたその両親から受け継いでいる。一世代前に比べると二分の一、二世代だと四分の一、三世代だと八分の一、n世代前からすると2のn乗分の1に薄まる計算になる。
 
 しかしミトコンドリアDNAは違う。常染色体のようには代々薄まらない。長い時代にわたり、一定の配列を保つ。
 
 だが、遺伝子にはランダムに点突然変異(mutation)が起こることがある。塩基がなくなったり(欠失=deletion)、塩基が入り込んだり(挿入=insertion)、他の塩基に変わったり(置換=substitution)する。数塩基にわたる欠損などの例もある。
 
 母親に二人の娘がいると想定する。姉に受け継がれたミトコンドリアDNAのどこかに変異が起こり、妹には起きなかったとする。姉の子孫には代々その変異が受け継がれ、妹の子孫には母と全く同じタイプが代々受け継がれる。
 
 代を重ねると他の部位でも変異が起こり、そのまた子孫に受け継がれる。こうして変異自体が蓄積されてゆく。上述の祖先の妹にも変異が起きたとしても、姉に起きた最初の変異と全く同じ部位で全く同じ塩基に置き換わったり、全く同じ部位で塩基が欠失したりする確率はほぼゼロと見なせる。
 
 代々積み重なった変異のパターンができて来る。それを解析することにより、ミトコンドリアDNAはさまざまなグループに分けられる。そのパターンはハプログループと呼ばれる。ヒトのDNAはきわめて変異が起こりにくく、比較的容易に共通の祖先を捜すことができる。
 
 二つのハプログループを取り出して繰り返して比較し、最も直近の共通祖先(MRCA=most recent common ancestor)を探す。得られた共通祖先どおしをつなげて遺伝系統樹を作成する。そうした解析によりアフリカの単一祖先にたどり着いた。
 
 世界で最初に作られた系統樹が次の図である。
 


ミトコンドリアDNAハプログループの系統樹
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変
おおもとは Ingman et al. 2000 による。
図中の線の長さは遺伝的な距離を示している。


 ミトコンドリアDNAハプログループを分類したところ、図のように大きく四つに分かれることが判明した。L0、L1、L2、そしてL3、M、Nを含む群(クラスター)である。アフリカにとどまったのがL0~L3クラスター、MとNは出アフリカを果たしたクラスターである。

 世界に散らばった人々はMとNから出た。アフリカにいる人々は分子人類学的にはたいへん多様性に富んでいた。ヨーロッパ人とアジア人の違いよりも、アフリカ人どうしの隔たりの方が大きかった。

 DNA解析という手法によって、ヒトは白人、黒人、黄色人種といった分け方とは全く違うグループに分けられることが判明したのだった。
 


ミトコンドリアDNAハプログループ間の系統関係
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より


 この図はミトコンドリアDNA各ハプログループの系統関係を示している。L(茶色)はアフリカで見出される集団、M、N、Rから派生するクラスターで構成されているアジア集団(オレンジ色)、主にRから派生したヨーロッパ集団(黄色)にまとめられている。
 
 N由来のWと I はヨーロッパ集団に含まれ、同じくN由来のX(紫色)はアジアにもヨーロッパ集団にも存在する。Rから派生したUクラスターのうちU6だけはアフリカに出戻った。MクラスターのM1も同様にアフリカに存在する。

 アフリカのL0~L3は混み入っていて星型をほとんど示さない。対してMはたいへんきれいな星型を示し、Nやそれから派生するR、そこからまた派生するUのクラスターも星状である。
 
 一五世紀終わりから一六世紀に始まる植民地時代、ヨーロッパから新大陸へ、アフリカから新大陸へ、人類に大規模な移動が起こった。だが分子人類学ではそれより以前、つまり先史時代の人類の移動、拡散と分布を主な研究対象にしている。

 現在、さらに多くのサブハプログループが報告されている。2013年度の最新系統樹詳細はここを参照されたい。

Ⅱ)世界各地域におけるミトコンドリアDNAハプログループ構成頻度

 まずは全世界におけるミトコンドリアDNAハプログループの分布頻度を概観する作業から始める。
 


ミトコンドリアDNAハプログループの世界分布
http://www.scs.illinois.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf より
さらに大きな図はこちら

 
ⅰ)アフリカ大陸
 
 サハラ以南ではL1、L2、L3がほとんどすべてを占める。エチオピアではH、M、HV、Uなどが加わり多彩な構成になっている。サハラ以北ではH、U二つが半数弱、L1、L2、L3の三つで25%と、ヨーロッパの構成にサハラ以南の構成が混じる形である。
 
ⅱ)ヨーロッパ
 
 半数前後をHが占め、J、K、T、U、Vなどが混じる。極北のサーミ族(Saami)ではU、Vで八割と特徴的である。
 
ⅲ)西アジア
 
 トルコ、コーカサスではH、Uがそれぞれ1/5から1/4で、ほかT、J、Xなどが続く。クルド人はUが三割以上、HVがそれに次ぎ、H、J、K、Wが均等に混じる。ペルシャ人はもっと多彩で、HV、J、U、Hで七割を占め、T、K、そしてM、Nなどが続く。
 
ⅳ)南アジア
 
 インドではMが半数を占める。次いでU、Nの順。それらで約八割となる。
 
ⅴ)東南アジア、華南、華北
 
 ほとんどはD、B、M、F、N、Aである。それぞれの分布傾向の違いは後述する。
 
ⅵ)日本
 
 別途詳述するが、基本的に東アジアでよく似た構成となっている。

ⅶ)モンゴル
 
 筆頭はD、次いでC、M、H、B、F、Aの順に多く、以上で約八割に達する。

ⅷ)中央アジア
 
 ウズベキスタン人はH、J、Uなど欧州系のハプログループとM、A、Dなど東アジア系が混じっている。アフガニスタンにいるイラン系のハザール人のデータも載っている。U、Z、H、M、F、B、Rの順の頻度で、R、Zの存在が特徴的だろう。

ⅸ)北東アジア
 
 エヴェンキ(EV)はC、ブリヤート(BU)とヤクート(YA)はCとD、ニヴフ(NI、Nivkh)はYに次いでD、イテリメン(IT)はG、チュクチ(CH)はAが特徴的。

ⅹ)アメリカ大陸
 
 アリュート(AU)はD、エスキモー(ES)と極北に住むナ・デネ語族(ND)がA、北米西部はBと次のC、北米中西部はAを筆頭にCとB、D、現在のカナダ東部先住民はA、C、X、メキシコ国境の米先住民と中米先住民はA、Bが特徴的である。南米ではB、C、D、Aの混じりで、南下するとCとDでほとんどすべてとなる。
 
 Ydnaの場合がほとんど単一のハプログループであるのに対し(後述)、ミトコンドリアDNAのハプログループは多様性が保たれている傾向がある。

ⅺ)オセアニア
 
 ニューギニアがP、Q、B、Mと多彩であるのに対し、オーストラリアではNがほとんどすべてで、ポリネシアではBが大部分となっている。
 
Ⅲ)ミトコンドリアDNAハプログループからみた人類の推定移動拡散経路

 続いて、ミトコンドリアDNAハプログループがどのような経路で、世界のどの地域に移動拡散していったのであろうか。提唱されている推定経路を紹介する。
 


イブの子孫の出アフリカと世界各地への移住
Wikipediaによる(CC BY-SA 3.0)
より大きな図はこちら
ダイマクション地図のアニメーションと展開図はこちらを参照されたい。


 この図はイブの子孫がアフリカを出たあと、どのような経路をたどってどの地域に移動したか、主なハプログループの動きを示している。
 
 図に描かれていることは、主に次の通りである。
 
1)ハプログループMがアラビア半島、インド大陸、東南アジアを経て
  オーストラリアまで行った。
2)M由来のGが東アジアに、CとDが東アジアやアメリカ大陸に移動し
  た。
3)NからRを経てF、Bが分かれ、日本を含む東アジアに移り住んだ。
4)Bはさらに旅を続け、N由来のAもアメリカ大陸にまで移った。
5)N由来の I 、X、W、ならびにRから派生したJ、K、U、H、V、Tが
  ヨーロッパ人の母となった。
 
 色付きの円、弧は、何千年前という年代を表している。たとえばL1~3クラスターがアフリカで拡がったのが一七~一三万年前、Mがインドに定住したのが七~六万年前、Bが日本列島に行き着いたのが三万五千年前から二万五千年前頃など。

 北米大陸にA、C、B、Dが住み着いたのも三万五千年前から二万五千年前、A、C、Dが南米大陸に行き着いたのが一万五千年前から一万二千年前、I 、J、Kがヨーロッパに展開したのが五~四万年前などと大まかなことが描かれている。
 
 残念ながらアジアへ移り住んだ集団については、日本列島への到達に関する詳細も含めて本図には描かれていない。
 


ミトコンドリアDNAの世界各地への旅
http://www.mitomap.org/mitomap/WorldMigrations.pdfより

 


ミトコンドリアDNAハプログループから推定される人類の世界拡散経路とその時期
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変


 これら二つの図は、見慣れた形の世界地図に落とし込まれた、イブの子孫たちの旅路である。年代や経路については多少の相違があるものの、世界各地への人類拡散の推定経路とその年代が書き込まれている。
 
 日本列島には北から、朝鮮半島経由でシナ大陸から、南から人々がたどり着いたというイメージで描かれている。四~三万年前のことだという。太平洋沿岸の島嶼(とうしょ)に展開したのが三万~一万五千年前、イースター島やニュージーランドへの移住が一五〇〇~一〇〇〇年前と推定されている。

 ただこうした移動経路は、現在人のミトコンドリアDNAハプログループの解析から推定したものである。考古学的な資料を使って導き出されたものではない。

 サイズの小さなミトコンドリアDNAは現代人の生きたサンプルばかりでなく、条件が良ければ考古学的な試料からも解析可能である。今後はそうしたサンプルからの解析が積み重ねられ、研究が進展してゆくことが望まれる。
 
Ⅳ)日本人のミトコンドリアDNAハプログループ
 
ⅰ)日本人のミトコンドリアDNAハプログループ構成頻度
 
 次に、日本人のミトコンドリアDNAハプログループについて紹介する。


日本人に存在するミトコンドリアDNAハプログループ
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変

 
 ミトコンドリアDNA各ハプログループの系統関係の図に、日本人に認められるハプログループを赤丸で示した。日本人の主なハプログループはM、N、Rいずれかのクラスターに属している。

Mクラスター:M7、M8、M10、M8に由来するCとZ、D4、D5、G。
Nクラスター:A、N9由来のY、N9a。
Rクラスター:B、R9由来のF。


 図には示されていないが、次のサブハプログループも日本列島に一定の割合で見出されている。N9由来のN9b、B由来のB4、B5、M7に由来するM7a、M7b、M7c、M8由来のM8aである。


日本人のミトコンドリアDNAハプログループの頻度
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変


 この図は日本人のミトコンドリアDNAハプログループの頻度を円グラフで表している。緑色系統から黄色を経てオレンジ色に至るのがMクラスター、赤から茶色に至るのがRクラスター、青系統がNクラスターにそれぞれ属するハプログループ、サブハプログループである。

頻度2%以上のハプログループは次の11種類である。
D4、D5、G、M7a、M7b、B4、B5、F、A、N9a、N9b。

 
 これらハプログループの発端になった女性たちこそ、代表的日本人の母11人と呼ぶこともできるだろう。篠田氏は、2%未満のM7c、M8a、C、Z、M10も加えて16のルーツとしている。次からそれぞれ概説を紹介しよう。

ⅱ)ミトコンドリアDNA各ハプログループの概説

<Mクラスター>
 
<D>
 
 日本人第一のグループで37.4%を占める。起源は35000年前に遡る。南回りで東アジアに入ったハプログループMの中から、最終氷河期の最寒気少し前に誕生した。
 


 ハプログループDにはD1~D6のサブハプログループが存在する。D1とD2はアメリカ先住民に見出される。D4とD5が中央アジアから東アジアにかけて最も優勢に分布しており、特に日本列島、朝鮮半島、中国東北部で三割から四割に達する。

 サブハプログループD4はさらにD4a~D4nに分かれ、日本を含む東アジア東北部を中心に分布している。他方D5はD5a~D5bに枝分かれし、華南を中心とした分布となっている。
 
 対照的にD4は日本で32.6%、華南で9.6%、D5は日本で4.8%、華南で4.8%という比率である。D4がいかに日本列島で多いかがわかる。

<G>
 
 日本人の6.86%にあたる。最終氷河期最寒期以降。カムチャッカ半島や北シベリア先住民族に3~7割という高頻度で認められる。なぜそれほどまでに高頻度なのかという説明として、ボトルネック効果と言って、もともとは存在していた他のハプログループが消失したため、偏った亜型頻度を持つようになったとされている。
 


 ハプログループGはG1~G4のサブハプログループに分類される。G1は日本本土、アイヌに分布し、朝鮮半島にも少数見られる。G2は中央アジアに存在し、東南アジア、華南にはほとんど分布していない。あまりハッキリとした分布境界を持たないものの、G3は中央アジア、モンゴルで見られる。

<M7>
 
 ハプログループMはM7a、M7b、M7cのサブハプログループからなる。起源は40000年前、各サブハプログループは25000年前と推定される。海面が低下していた氷河時代に陸地だった部分が東南アジアにはあった。そこに住み着いた人々から分かれた集団が、それぞれの場所に定住したのではないかと考えられている。
 


M7aは主に日本列島に存在し(7.47%)、特に沖縄に多く分布する(24.2%)。

M7bはシナ大陸沿岸から華南にかけて多い。日本列島だと4.45%の頻度である。

M7cは東南アジア島嶼部に多く認められ(最大18.8%)、日本列島だと0.76%と少数である。
 
 いずれも中央アジアや北東アジアにはほとんど分布していない。

<M8>
 
 ハプログループMはM8a、C、Zのサブハプログループからなる。
 


 サブハプログループM8aは日本人の1.2%に相当する。華南と華北にも一定割合で出現し、周辺部には少ない傾向がある。

 ハプログループCは日本人の0.5%に認められ、中心アジアから新大陸にかけて分布する。起源は30000年前とされる。朝鮮半島、華北、中心アジアの集団に大きなグループ内変異がある。中心アジアの地域集団が、遊牧民として勢力を拡げた時にそのテリトリーを拡げただろう。例はモンゴル民族である。

 ハプログループZは日本人の1.3%にあり、他にカムチャッカ半島、フィンランド、朝鮮半島などに分布している。ヨーロッパと極東アジアにまたがる分布域を持っている特別なサブハプログループと言える。

<M10>
 
 日本人の1.3%がM10であり、チベットでは8%を占め、ほか華北、ブリヤート、モンゴル、中央アジア、朝鮮半島に存在する。北の回廊を形成している亜型ではないかとも言われている。

<Rクラスター>

<B>
 
 日本人第二のグループで13.26%を占める9塩基対欠損変異である。起源は40000年前で、インドから東南アジアに拡散したR集団の一つから誕生した。華南、東南アジア、南米山岳地域に分布している。
 


 北米、南米には15000~12000年前に、南太平洋には6000年から1000年前頃に展開していった。B4、B5、B7(B6)がサブハプログループとして存在している。
 
 太平洋島嶼に漕ぎ出したBの集団が、東進し南米にたどり着いたという仮説が出されている。中南米先住民にBの比率が著しく高い(24~63%)のが理由だ。北米では比率が8~9%と低い。
 
 ベーリング海峡を経て北回りで到達した北米先住民のB集団は、その後中南米にまで足を伸ばし定住していた。ずっと時代が下って、太平洋からやってきた同じB集団の人々と遭遇したというのである。ロマンを誘う。ただ男性には厳しい現実が待っていたかもしれない。後述する。
 


 サブハプログループB4、B5については、次のように推定されている。東南アジアに来たR集団の一つから発生したBが、華南に進出したり、日本列島を経由して北米、南米に移動したり、大きく移動拡散していった。その経由地の日本にとどまり日本人の祖先となった女性たちがいたというのである。

<F>
 
 日本人の5.34%を占める。起源は40000年前で、東南アジアに分布の中心(頻度として約12~37%)がある。
 


 ハプログループRから分離しているところはハプログループBに似ている。しかしBとはちがって、アメリカ大陸にも南太平洋の島嶼への展開しなかった。FのサブハプログループにはF1、F2、F3、F4の四つがある。

<Nクラスター>

<A>
 
 日本人の6.85%を占める。起源は30000年前、バイカル湖周辺とされる。マンモスハンターと呼ばれる集団の多数を占めていたと推定されている。
 
 A3、A4、A5、A7、A8、A9のサブハプログループが報告されている。以前のA2は現在のA4に含まれる。
 


 以前のA2がアメリカ大陸先住民に見出された。A4は東アジア全域に見られるが、A5は朝鮮半島、日本列島に分布が限られる珍しいタイプである。A5は7000年プラスマイナス2800年前に分岐したとされ、比較的新しいサブハプログループである。

<N9>
 
 ハプログループN9は、N9a、N9b、Yというサブハプログループに分かれる。

 ハプログループN9は、Rを経由せずにヨーロッパに入ったW、 I 、アジアとヨーロッパに広がったXとともに中東から北方に進み、そこで別れてヒマラヤの北を通って東アジアへ拡散したと推定されていた。
 
 現在ではAとともにインドを経由して東南アジアに入った集団Nの中にN9がいて、東南アジアから東アジアに展開したのではないか言われている。本稿最終章を参照されたい。
 


 サブハプログループN9aは日本で4.57%存在する。東アジア~東南アジアの広くに分布し、華南や台湾先住民に比較的多いという。

 サブハプログループN9bはほぼ日本列島にのみ(2.13%)存在し、朝鮮半島や沿海州にわずか分布する。北方ルートの代表ではないかと言われている。

 サブハプログループYは北東シベリアにだけ多く、アイヌにも存在する。日本ではわずか0.4%だけである。

ⅲ)日本人に特徴的なM7aとN9bについて

 日本人に特徴的なハプログループとしてM7aとN9bがあげられる。ほぼ日本列島にのみ分布する。
 


地域別に比較したM7aとN9bの頻度
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変


 サブハプログループM7aは沖縄と北海道アイヌに多く日本本土の東京と東北でやや少ないM字型の分布傾向を示す。M7aは南から北に向かって減少する傾向を認める。ほかにN9b以外に、こうした一定の傾向を示すハプログループは存在しない。

 サブハプログループN9bは沖縄に多く西日本に少なく東日本に多く分布している。南から北に行くほど徐々に頻度を増す地理的な勾配を認める。

 篠田氏は「これが全国的な傾向として認められるのであれば、このハプログループは北から進入した基層集団によってもたらされたと考えられます」と述べている。しかしN9bは沖縄でも頻度が高い。はたしてその見解は正しいのだろうか。
 
 古い基層集団であったとしても、九州から進入した新しい集団により徐々に南と北に移動を余儀なくされたと考えることも可能だろう。北に多いという傾向そのものは、N9bが北から進入したという根拠ではなく、基層集団として成立した後に起こった移動の結果であるとも考えられるのである。

ⅳ)東アジアにおけるミトコンドリアDNAハプログループの特徴
 


東アジア~東南アジアにおけるミトコンドリアDNAハプログループの分布
篠田謙一著「日本人になった祖先たち」より改変


 東アジアから東南アジアにかけて分布している主なミトコンドリアDNAハプログループの分布を大まかに見ると図のようになる。東北アジアに主に分布するA、D、G、Y、M8aに対して、C、Z、M9、B、M7、R9、E、Fは主に東南アジアに分布する。
 
 それぞれ北方系、南方系と呼び分ける人もいる。そのうち赤丸で示した集団が日本列島にも存在する。北方系のA、D、G、Y、M8a、C、Zと南方系のB、M7、Fである。

 ちなみにオーストラリアにはP、ニューギニアにはQの分布が多い。


日本に移り住んだ祖先たちの経路想定図
ミトコンドリアDNAハプログループ研究によるもの
果たして真実はどうなのだろう?
後述のY染色体DNAハプログループ研究の成果と
合わせて再考されるべきだ


 このように、北方系と南方系の人たちが、サハリン-北海道経由(図の⑤)、朝鮮半島経由(図の⑦)、東南アジア-華南から海を渡って(図の③)日本列島に移り住んだと考えるのが主流だった。果たしてその通りなのだろうか。Y染色体ハプログループ研究からは否定的である。次項その次をご覧いただきたい。